どうして希望が無くなったか

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どうして希望が無くなったかっつーと、知識人達が「真実という怠惰に甘んじた」ことにある。真実を訴えるのは楽だ。真実なのだからな。真実を訴えた場合に苦労するのは受け止める側である。つまり真実を語るなんてのは怠け者のすることなのだ。それは生肉を調理もせず出すようなもので

知識人とは、生肉でしかない真実を、万民が美味しく食べられるように調理するのが仕事なのである。嘘で良いのだ。嘘の結果人々が幸せになるか、嘘の結果人々が不幸になるか、そのどちらかをやるのが知識人の仕事であって、生肉を出して人々を食中毒にするのは知ではない

料理がしたいと言う人間に生肉を売るのはいい。だがただの客である一般人に生肉を出すのは頭がおかしい。それで国中に真実を食べて食中毒になり、希望を失い鬱になった労働者が山積したら、それは真実を伝えた知識人や研究者たちの罪悪である。ちゃんと嘘を吐け

そりゃ料理人は毎日料理するから大量の生肉を渡されても問題ない。けど一般人というものは、そんなに大量に料理しないから、肉を手に入れても腐らせるだけだ

真実というのも同じで、学者は仕事で毎日大量に処理するから真実を知ってもなんともないが、一般人は真実を処理しきれずにパンクしてしまう

プロの料理人と素人の差を考えずに、牛一頭分の生肉をプレゼントしたら大惨事だろ。プロの料理人なら喜んで店のメニューを充実させるだろうが、一般人の家に送りつけたら腐るわ溶けるわ大惨事である

知識や真実が価値になるのは、それがプロの知的労働者だからであって、素人には害しかない

学者だってボディビルダーから150㎏のバーベルとか貰って「これは素晴らしい器具なんだ」って言われても困るだろ。仕事で使うわけでもなく、鍛える気なんか全然無いのに、過剰な設備を与えられても困るだけだ

それは知識でもそう。そこまでやる気が無い人間に過剰な知識を与えてはいけないのだ

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