大多数の人間は「法律と民間ルールの区別がつかない」

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大多数の人間は「法律と民間ルールの区別がつかない」から、法律によって制裁を加えると「なるほどこれがルールの運用方法なのか」と学習して、組織の規則に違反した社員をまるで犯罪者のように扱い始める。つまり警察が働けば働くほど、クソ管理者がどんどん増えることになる

なぜ、大多数の人間は法律と民間ルールの区別が付かないのか? それは法律と民間ルールには「物理的な区別が存在しない」からだ

法律も校則も「言葉」あるいは「文章」という人間が共有している抽象的な空間にしか存在しないものだ。法律という物質があって、それがエネルギーを発するわけではない

殆どの人間は「国が決めた法律だから従うべき」という漠然とした理解でいる状態で、本質的なものは何も理解していないのである

だからルールを管理する側になり、本質的な部分に関わり始めると、今まで理解していると思っていた「国」や「法律」の事がどんどん分からなくなっていく

ゲシュタルト崩壊のような現象が起こるのだ。同じ漢字をじーっと見つめていると文字の概念が崩壊して読めなくなって行くように、ルールを作る、ルールを保守していると、ルールとは何だったのかよく分からなくなっていく

文字なら少し離れれば読めるようになるが、抽象概念はそうはいかない

理解していたはずの「国」や「法律」について、一度、深く考え過ぎて分からなくなってしまうと、それを戻すには膨大な知識と、それを組み上げる力が必要になって来る

だがそれは才能のある人間にしかできない、故に「管理職になると倫理観が崩壊する」のである。無知の知は常人には劇毒であるのだ

実際、法律と民間ルールの差は「それを決めるのに関わった人間の数」くらいしかない。選挙をして1億人が関わった法律は、数百人の都合の為に作られた会社のルールより優先する…しかしこの理屈だと「多数派が正しい」となり。そうなれば会社の多数派に都合の悪い少数派には制裁を加えるべきだとなる

転じて少数派も守るべきだとなると、今度は多数派の都合に合わせて作られたのが法律で「多数派の都合で犯罪者にされるなんて理不尽だ」という話になる。欧州は割とこれで、故に死刑反対や長期拘留の禁止に向けて動いている

窃盗は多数の平和的な市民にとって有害だ、だから逮捕拘留するべきである。ならば会社の多数の社員にとって有害な人物には制裁を加えるべきである。ここまでが地続き。

これを拒否すると「社会にとって有益なら、会社にとって有害であっても保護すべきだ」となるが、これをやると社会と会社が対立する

ルールの目的が「多数派の利益の保護」だと会社の多数派のために少数派を制裁できる

ルールの目的が「弱者の保護」だと強者側にルールを守る動機がなくなってしまう

ルールの目的が「社会を守る為」となると会社は社会と対立しグローバル企業の誕生を促してしまう

もうお分かりであろう。ぶっちゃけ「何を選んでも大惨事」なのである。何の問題も起こらない選択肢など存在しない。

つまりルールに頼っている限り、人間は永遠に苦しみから解放されないのだ。ルールがあるから生活できているが、同時にルールがあるからこそ憎しみや争いが無くならないのである

「多数派のためのルール」だと少数派が苦しむし「少数派のためのルール」では多数派が怒り狂い世が乱れる。「企業より社会が優先」だとグローバル企業が乱立するし「社会より企業が優先」だと公害やら人権侵害で大惨事になる。

何処にも正解など存在しない。政治とは両側溶岩の細い綱渡りなのだ

そしてこれに対抗する手段が「ダブルスタンダード」なのである。この場合は多数派優先だけど、多数派優先し過ぎたから少数派もちょっと保護する、あの企業はいいけど、お前んところはダメ、手のひらをグルグル回してバランスを取って何とか社会を存続させるのが政治家の手腕で

「ダブルスタンダードを撃ちまくって無理やりバランスをとる」のが社長とか政治家とかの才能であり、彼らが一貫性が無く倫理的にムチャクチャなのは当たり前なのだ

綱渡りをするべき相手に「右に傾いたり左に傾いたりするのはおかしい!」っておかしいのはテメーだよ。落ちて皆死ぬだろうが

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