虐待の定義

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自分が嫌いな物と、他人が嫌いなものの区別が付かず「これを嫌うべきではない」と力尽くで押し付けるのが虐待だ。

殴られたくない相手を殴るのも、言葉で説明して欲しくない相手に言葉で説明するのも、カレーを食いたくない相手にカレーを食わせるのも全部同じ。暴力か言葉かカレーかは重要じゃない

コミュ障は「行為」にこだわる。「殴る」「話す」「触る」とかな。

しかしコミュニケーションとは究極的には属人的なもので、愛する人との性行為には幸せを感じても、見知らぬ他人に無理矢理されるのは嫌というのがコミュニケーションなんだよ。同じチンコをマンコに突っ込む行為でも感じ方は違う

同じ子供のケツを定規で叩くのでも、普段から怖さを演出して「お前何やったか分かってんだろうな、分かってるならケツ出せ」という空気で叩きに行くのと、普段から嫌味な態度で「先生に許して欲しかったらどうすれば良いか分かってる? どうするの?」みたいに来るウザいババアじゃ全然違うだろ

前者だったら「うわあ怖い、ゆるして~」ってなるけど、後者だったら「は? ウゼえ殺すぞババア」ってなるじゃん。そうなった上で教師の権力や生徒の将来を盾にネチネチいたぶってケツ出させるのって完全にハラスメント。その差こそがコミュニケーションであり、そこに問題の全てがあるの

身も蓋も無い言い方をすれば、ハラスメントとは「人格そのもの」なんだ。何をするかは全く関係ない。何故ならコミュニケートとは「人格を触れ合わせる事」であるからだ。クソな人格と触れ合うのは最悪で、それがどんな方法で触れ合うかは問題じゃない。ウンコをどこから触ろうがウンコだろ。

優れた人格と触れ合うなら、その手段が暴力でも「熱い指導」になるし、虐待であっても「激しいSMプレイ」になるだけだ。逆に腐った人格と言葉で触れ合ったら「ネチネチして気持悪い」になるし、優しく触ったら「触り方がキモい」になるだけ。どう触れ合うかは問題じゃない。何と触れ合うかが重要なの

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