勉強の価値

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「超一流の大学施設+高度な知識を保有した教授」と「田舎の村に放置されたPC1台+後ろで子供に質問するおばあちゃん役の女性」によって育成された生徒のスコアが殆ど変わらない事は実験で明らかになってるし、現代教育の「専門家に教わる」という構造自体がアホくさい無価値な事

そもそも教育とは表現活動であり、表現力に乏しい人間が教師をやること自体が全く馬鹿げている。中途半端に知っている人間よりも、全く無知で記憶力も皆無で「よくわからないけど試験に向けて皆さん一緒に頑張りましょう!」って言える人間の方が圧倒的に教師として強い。

勉強の価値ってなんだっつーと「勉強には何の価値もない」よ。人間は勉強に頼る事無く500万年生存して、最後の数万年だけ文明とか作って進歩したわけで、別に勉強なんかしなくても人類はまた自慢の持久力や投擲力で生き延びていくだろう。大きな目で見れば文明それ自体が無価値

なんで勉強するかっつーと、面白いからだよ。逆に言えば勉強を面白いと感じなかったら勉強しなくて良いんだよ。他のことをやって社会に貢献すりゃ良いの。どれだけ数学をやらせたって「数学に興味がない個体」は決してそこから何も生み出さない。運動嫌いが絶対にオリンピック選手にならんのと一緒

更に言うなら「どうして人は文明を作るのか?」っつーと、その方が面白いからだよ。野生で石槍投げてても全然暮らせるけど、文明があれば絵を描いたり、物語を語ったり、そういう余暇を確保できるから文明やってんのよ

んで逆に人が文明を破壊するとき、つまりテロとかやって街を滅茶苦茶にするのは「面白くないから」だよ。面白くないから何もかもブチ壊してしまおうとするわけ。もっと面白いものが生まれる事を期待してな。

つまり人類ってのは常に必要不要ではなく「面白いかどうか」で文明を維持してるんだ

だから西洋合理主義ってのは上手く行かないし、常にテロの脅威に晒される。何故なら面白くないからだよ。

文明ってのは常に「文明が必要な弱い人間」と「文明が不要な強い人間だが面白いから抵抗しない人間」によって支えられる。面白くなくなるって事は後者を失うってこと

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